新年度ですね~
いつもこの時期が来ると、自分が初めて就職したことを思い出します。
最初の就職先は楽天イーグルスが優勝した事に感動して、ノリと勢いで仙台のリハビリ病院に電話したことがきっかけでした。
あのときは東日本大震災を経ての日本シリーズ優勝でしたので、東北の底力に感銘を受けてたのが志望動機という。
縁もゆかりもなかったですが、その思いだけを伝えたら就職できました。
もちろん、そのときは自分のスキルアップとかキャリアデザインとか、そんな人生設計的な考えは皆無です(笑)
そんなこんなで、今となっては転職してリハビリ部署のマネジメントや教育事業に関わっているという。。
そんな、自分の経験を振り返って、若手時代の思いと考えを記事にしました。
アーティスト的な「遅咲き」は療法士には存在しない
有名な遅咲きアーティストでいうと、、歌声がきれいなスーザン・ボイルがデビューしたのが47歳のときでした。その後は、世界的に有名な歌手として活躍しています。
日本の芸能人でいうと、タモリさんは20代に旅行代理店やボウリング場で働いていたり、喫茶店のマスターもしていたそうです。
そして、芸能界デビューは30歳を過ぎてからとのこと。その後は、笑っていいとも!やミュージックステーションの司会を務める超有名人になっています。
まぁ、世の中の風潮としては多様性とか、個性を重んじるとか、君は君のままでいいんだよ~っとか、甘い言葉が漂っていますが、、
それをそっくりそのまま受け止めて、ぼやぼやと`何者でもない若手療法士`時代を過ごすと、ゆくゆくは、まだ何者でもないおじさん療法士、おばさん療法士になります。
それは何故か?
リハビリ療法士の技術や知識に「才能」はないからです。
これまでの実績と経験がすべてだからです。
そして、常にチャンスは若手に巡ってくるからです。
一番大事なことは最初にしか入らない
例えば、、、ある空っぽの大きな壺があるとします。
これは、若手療法士の「可能性」です。
その空っぽの壺に大きな石と砂利を上までしっかり入れていきます。
果たして、この壺は「満杯」でしょうか?
今後は、その壺に細かな砂を入れていきます。
今後こそ満杯でしょうか?
いえいえ。
最後に水を壺いっぱいに入れていきます。
そうすることで、壺の中は満杯になりました!
この教訓は何かというと。。。
「一番大事なことは最初にしか入らない」
先に、細かな砂利とか、砂、水から入れると、あとから大きな岩は入りにくいんですよね。
療法士でいうところの、10年目以上になってから新たに知識や技術を研鑽する。初めての学会発表となると、多くのベテランが躊躇します。
なので、5年目までという大事な時期に自己研鑽している療法士はその後の伸びしろが全然違います。
YouTube 人生をビンに例えると
とはいえ自己研鑽は自分次第
自己研鑽。
「やりたくなければ、やらなくてもいい」と思っています。
リハビリの国家資格が剥奪されるわけではないですし、給与が減額されるわけではないんですね。
「自分の自由な時間を削ってまでも勉強しても意味ない、コスパ悪い」っという意見もあります。
まぁ自己研鑽をしないというのも一つの選択ですね。
ただし、自分が選んだことに責任は持ちましょう。
それは、リスクが伴うからです。
リハビリテーションは医療なので、、、
「知らなかった」「分からなかった」。では済まされないことが出てきます。
その自分の知識や技術不足を誰かの何かのせいにしないこと。
これほどまでに、見苦しいおじさん療法士、おばさん療法士ほど痛々しいことはないです。
また、この自己研鑽は、誰それにやれと言われてやっているようじゃ、本当の意味で身につかないです。
「自分はこのリハビリテーションという職業と向き合いたい」と思える時期が来たらラッキーですね。
実際、その時期が早ければ早いほど良いですけどね。
村上春樹氏の作品の中で「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という小説があるのですが、その作中に出てくる博士の言葉に、、
「他人から教えられたことはそこで終わってしまうが、自分の手で学びとったものは自分の身になる。そして君を助ける」
この言葉が好きですね。